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神の不在。
それは、ボンヘッファーにとって、大悟と呼ぶに等しい冷徹なまでの発見だった。
しかし、「神なしに生きる」と宣言してなお、ボンヘッファーのこころは「神の前に立って」「神とともに」ある。
この神とは、いったいどんなイメージのものなのか? 
背教の徒となじられる覚悟で、決然と「神なし」と言い切ったときの神。そのうえで、あらためて自らの信仰の揺るぎなさを確信して「神の前で」「神とともに」と表白するときの神とは何なのか。
私たちは、そのちがいをじっくりと考え抜いてみなければならない。
再奪還されたボンヘッファーの内なる神は、苛烈な運命に翻弄される我が身の無力さを許し、不運につきまとう嘆き、呪い、絶望から救ってくれたにちがいない。
内なる神からの癒し・救済によって、罪悪感と悔恨に満ちた自分を認め、許すすべを身につけること。そして得られる、病や老いや死などの運命と向かい合い、穏やかに折り合いをつけて生きていくための、こころの成熟。
柳澤桂子


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